ハワイのさびしい話です
ハワイで唯一の日本語新聞、タブロイド版ですが
イーストウエストジャーナルという新聞があります
月に二回1日と15日に発刊、1976年に永井雄治さんという
経済を担当していた新聞記者がハワイで出したのです。32ページです
27年間有料紙でしてきましたが、2003年5月に無料しにして
70箇所で配布、ハワイの人たちによろこばれていました。
やはりこの世界的不況でしかも建物のリースが切れて更新の時期のため
このあたりが退け時と3月15日号を最後に辞めることにしたのです。
誠に残念としか言いようがありません。
これと似たのが、日本語放送のK-JAPANです
この日本語放送も富田郁子さんという方が
孤軍奮闘してハワイで放送をつづけていました。
私も何回も出させていただき、特に心に残るのは
「この方とコーヒーをもういっぱい」という、
朝のインタヴュー番組です
聞き手は富田郁子さんでした。
早朝に出勤しようとしてカージャックに会い
それでもひるまず、出勤して放送で奪われた
自分の車のナンバーを呼びかけて
観光バスに見つけ出してもらったという
エピソードの持ち主です。
この放送局は数年前に消えました。
この日本語新聞のお陰で日本にいても、ハワイの実情が
早くわかり大変に便利でした。
もう一つは私の寄稿する長い原稿を惜しみなく紙面を提供
お陰でハワイの読者に大変に喜ばれたことです。
二つの日本語メデイアが消えたことは時代の流れとはいい
これも結局ハワイに日本語をしゃべり読む人が段々と少なくなり
聞く人がいなくなってきたのが原因でしょう
日本の新聞はこうした面に弱い?関心がないので
記事には出ないでしょうが、世界の中で生きている日本人が
いる限りは大切なニュースなのです。
太郎と一郎のことは場外でしてもらい
議事堂ではわれらのことを、真剣に論じろよといいたいのが
今の時代です。
イーストウエストジャーナルさん、会えるそのときまで、マハロ
イーストウエストジャーナルという新聞があります
月に二回1日と15日に発刊、1976年に永井雄治さんという
経済を担当していた新聞記者がハワイで出したのです。32ページです
27年間有料紙でしてきましたが、2003年5月に無料しにして
70箇所で配布、ハワイの人たちによろこばれていました。
やはりこの世界的不況でしかも建物のリースが切れて更新の時期のため
このあたりが退け時と3月15日号を最後に辞めることにしたのです。
誠に残念としか言いようがありません。
これと似たのが、日本語放送のK-JAPANです
この日本語放送も富田郁子さんという方が
孤軍奮闘してハワイで放送をつづけていました。
私も何回も出させていただき、特に心に残るのは
「この方とコーヒーをもういっぱい」という、
朝のインタヴュー番組です
聞き手は富田郁子さんでした。
早朝に出勤しようとしてカージャックに会い
それでもひるまず、出勤して放送で奪われた
自分の車のナンバーを呼びかけて
観光バスに見つけ出してもらったという
エピソードの持ち主です。
この放送局は数年前に消えました。
この日本語新聞のお陰で日本にいても、ハワイの実情が
早くわかり大変に便利でした。
もう一つは私の寄稿する長い原稿を惜しみなく紙面を提供
お陰でハワイの読者に大変に喜ばれたことです。
二つの日本語メデイアが消えたことは時代の流れとはいい
これも結局ハワイに日本語をしゃべり読む人が段々と少なくなり
聞く人がいなくなってきたのが原因でしょう
日本の新聞はこうした面に弱い?関心がないので
記事には出ないでしょうが、世界の中で生きている日本人が
いる限りは大切なニュースなのです。
太郎と一郎のことは場外でしてもらい
議事堂ではわれらのことを、真剣に論じろよといいたいのが
今の時代です。
イーストウエストジャーナルさん、会えるそのときまで、マハロ
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