宝塚歌劇の改革はプロデユサーの確立が必要。

改めていじめの実態が浮きあがった宝塚歌劇団
歌劇団の自治権任せてきたとか聖域だったとか
色々改めて表現する人がいるが、歴代理事長
小林一三から始まり小林米三以下市川、阪、
植田、荒木と各理事長時代は演出家、生徒
共にゆとりがあった。が演出家が若返りし
古参演出家も去り裏方も若替わり事務所の
メンバーも変わった段階から劇団の雰囲気も
時の流れに流され始めたようだ。
外部からの意見を取り入れ組織風土の
改善というが簡単にはいかないだろう。-
第一の改善は阪急電鉄から劇団に来る
社員プロデユーサ―制度を無くして専門
プロデユーサーを設ける事だ。更に作品
を決める編成会義では、完成した台本を
演出家に提出を必須とする事。筋書だけ
というのは拒否、振付師もPと共に決め
場面ごとに複数の人に依頼しない事だ。
複数に依頼すれば個々の振付師の都合で
稽古時間が増えるし、ふり写しという
事も考えると人数を絞る、これもPの
重要な仕事だ。稽古場の取り合いも
助手の労力が減少する。次に重要事項
Pが稽古の立ち合いを必修その補助に
演技指導役のベテラン元生徒拝する。
植田紳爾さんは必ずOGの美吉左久子
さんを演技指導でスタッフに加えた。
稽古の合間に生徒は演技指導を求めて
来た。組長、副組長の名称はやめる。
かって花組の組長なった但馬久美さん
が、組長名称嫌いキャプテン名称を
使用した例もある。
改革の第一歩は演劇に専門知識のある
プロデユーサーの確立からだ。
阪急社員プロデユーサーは廃止。
続く。

この記事へのコメント