原爆・長崎の鐘・永井隆博士著とノーベル平和賞

小言幸兵衛が原爆と言うものの怖さを初めて
知ったのは昭和20年8月9日に長崎で被爆
した永井隆博士が書いた「長崎の鐘」だった。
長野県松本の山奥に疎開していた事と9歳と
いう幼い事、当時情報はラジオから聞こえる
大本営発表の物だけ。広島にピカドンが落ち
たと大人たちがどこかで呟く言葉でピカドン
て何かが判るはずもない時代にいた。
終戦後、暫くして東京へ戻り中学生のころに
本屋で永井隆博士著の長崎の鐘を見つけて、
初めて知るピカドンは原爆だと書斎を知った
それから何十年もたった時、知人と米国の
中西北部を旅した時、サンタフェの近くの
ロスアラモスで原爆を開発した秘密基地の
あったとこでオペンハイマー博士が原爆を
ここで作り上げた事を知った。
ここには原爆博物館があえい広島に原爆を
投下する映像がエンドレスで見せていた。
全て原爆良しで被爆した品一つも無かった。
日本被団協がノーベル平和賞受賞した事で
ここの原爆博物館も展示内容が変わる事を
期待している。

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