今年は昭和100年小言幸兵衛89年で経験したものは。

昭和100年が今年だ。小言幸兵衛が89年の間に
経験したものは何だっただろう?
昭和18年陸軍の訓練で兵隊が自宅に野営。
昭和19年に疎開を経験。お米の無い時代。
ラジオで天皇陛下の玉音放送聞く。
小学5年生時代、東海道線で通学。
電気機関車EFで客車の最後尾に一両有蓋貨車が
連結されていた。当時鉄道は進駐軍指揮下で
RTO<レイルウエイ トランスポーテーション
オフィス>が、進駐軍の使う車両には白線が
引かれていた。
当当はチンチン電車前に網が付いたもの。
映画は3本建て上映、入れ替えナシ。
銀座には日劇がジャズ喫茶がロカビリー歌手
華やか時代。銀巴里はシャンソンの店。
この少し間には、薪を焚いてのタクシーが
走る時代もあり。三輪タクシーも。
人形町の寄席の末広が大人気、火鉢にたどん
一つと炭が、げそ札に、あおりながら落語家
の話を聞く。
浅草のロック座フランス座華やか。新劇も
劇団四季も公演は一ツ橋講堂、第一生命
ホール、飛行館で劇場の無い時代。
トリ杯50円、渋谷の恋文横丁の眠眠の
焼きそば50円。タクシ―80円時代。
田園テニスクラブで正田美智子さんが
テニスを。
昭和35年には東海道線に特別二等車が、
大阪の南北線に市電が松島、境川へ。
やがて市電も廃線、南北線は一方通行へ。
そして世界中が大阪千里に集まったあの
EXPO70進歩と調和のテーマで取材で電気
自動車で会場内を走ったのは今は想いで
昭和の時代はよかったねえ。

この記事へのコメント